大人は心の眼が濁っていることに気づくことがスタートライン
こんにちは、人気教室づくり講師の齊藤直です。
知っている方は知っていると思いますが、僕の第一専門は「体育」で、つい2年前まで、体育大学付属の幼稚園で体操のお兄さん(←オジサンではない)をしていました。
この時、園児から「あること」を学びました。
その「あること」とは・・・
人は本来、他者の成功を心から喜び、認め、その凄さをより多くの人に伝えることに喜びを感じられる生き物だ
ということです。
具体的に、お話しますね。
例えば、幼稚園で「とび箱」の授業をしますよね。
すると、当然のように、
・とび箱が上手な子
・とび箱が苦手な子
・とび箱が苦手な子
が出てきます。
これ、大人の常識からすると、
・とび箱が上手な子がとび箱を楽しそうに行い
・とび箱が苦手な子はとび箱を積極的に行いわない
って、思いませんか?
それね、大人の濁った常識なんです。
実際のところ、園児たちはどうするのかというと、
・とび箱が上手な子がとび箱を楽しそうに行い
・とび箱が苦手な子はそれを「すごい!すごい!」と褒め称え
ます。
また、指導中の教室に、他の先生が入ってきたりすると、
せんせー、●●君、とび箱●段飛べるんだよ!
すごいんだよ!
せんせーも見てよ!!
すごいんだよ!
せんせーも見てよ!!
と、とび箱が苦手な子が、とび箱が上手な子を他者にどんどん紹介しまくり、そして
「やっぱり、●●君はとび箱の天才だなっ!」
とか言って、とび箱が上手な子をどこまでも褒め・認めます。
これ見ていて、超かわいいです。^^
そして、これこそ、人の本来の姿なんだなーって、思いました。
その一方で・・・大人はどうでしょう。
大人というか、人は、中学生くらいになると、
・できない子ができる子の成功を心から喜び、認め、その凄さをより多くの人に伝える
なんて、一切しなくなりますよね。
一切しないどころか、「できる子の成功」にケチをつけたり、恨んだり、更には、できる子をしかと(無視)したりして、「できる」という立場から蹴り落とそうとしたりします。
これ、大人(大人の心)の濁った部分(もっとはっきり言うと、腐った部分)だと、僕は思います。
これは僕の持論ですが、人は、
・他者の成功を心から喜び、認め、その凄さをより多くの人に伝えることに喜びを感じられる人だけが、どんどんステージアップ
をし
・他者の成功を心から喜び、認め、その凄さをより多くの人に伝えることに喜びを感じることができない人は、今いる場所を頂点に、どんどんステージダウン
していきます。
これきっと、世の中の法則です。
なんていう法則か、わからないけど。(笑)
ま、結論として。
いつの間にか心や眼が濁ちゃった我々大人は、ガラスのように透き通った子どもから学ぶべきことが、どうやら沢山あるようです。